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2024.11.29
▼浦賀、観音埼灯台
2021.07.31 walk alone 別ページ
2024.11.20 walk with friends
▼観音崎と観音埼灯台
・現在の通称としては「崎」
・灯台の名称としては「埼」
・ここでは観音崎灯台で通す
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▼浦賀、観音埼灯台
2021.07.31 walk alone 別ページ
2024.11.20 walk with friends
▼観音崎と観音埼灯台
・現在の通称としては「崎」
・灯台の名称としては「埼」
・ここでは観音崎灯台で通す
【 今回の行程:浦賀から観音崎灯台 】
▼map01 行程図
・京浜急行本線:浦賀駅集合
・浦賀港西岸
・渡し船で浦賀湾を横断
・観音崎灯台
・横須賀美術館
・走水神社
・参加者4名
▼map03 ペリー来航と浦賀
・歴史的な経緯をおさえておく。
① 1853
ペリー来航 → 浦賀沖
アメリカ大統領の国書を渡し、
開国を要求。
翌年の再来航を予告し退去。
② 1854 ペリー再来航
久里浜に上陸し、幕府と交渉。
幕府の代表は浦賀奉行。
③ 〃 横浜に移動し、条約を締結。
日米和親条約 これが開国
▼map04 ヤマトタケルの東征と走水の海
・走水神社の項目
01 マップ
02 浦賀
03 観音埼灯台
04 横須賀美術館
05 走水神社
06 洋式灯台
【 浦賀 】

▼浦賀駅に到着
・上大岡〜屏風浦間の不具合で大幅に遅遠。
・ここは京急本線の終着駅です。
・特急や急行は堀ノ内で京急久里浜方面へ向かうが、品川や横浜からの普通電車は浦賀が終着駅。
▼浦賀湾の西岸
・浦賀の外を望む。
・ペリー艦隊は浦賀沖に停泊した。
・港西岸にあった浦賀奉行所が対応。
・それは大騒ぎであったろう。
▼第六豊松丸
・真鶴の鈴木組が保有するガット船。
・砂利や石材の運搬船のようだ。
・ペリー艦隊が湾内に入ってきたらこんな感じ?
▼浦賀湾の渡し船
・対岸に渡ってバス停をめざす。
・1733(享保18)年から存続。
・横須賀市民は半額の200円
▼オンデマンド
・何が驚くかと言えば、乗船の仕組み。
・必要に応じて船がやってくる。
・なんと合理的なことか。
・ちなみにSuicaは使えない。
▼渡し船
・ずいぶんきれいな船がやってきた。
・まだ新しい船だ。
▼東岸に向かう
・われわれが乗船したらすぐに出発。
・湾内は静かなので揺れない。
・関門海峡とはえらい違いだ。
▼東岸に到着
・もっと乗っていたいのに。
・3分くらいで到着してしまった。
▼浦賀湾の湾の奥
・乗る方が1名おりました。
・渡し船はすぐに出発。
▼タクシーで移動
・バスには時間があったのでタクシーで。
・けっこう強い雨。
・観音崎大橋から灯台への入口に向かう。
01 マップ
02 浦賀
03 観音埼灯台
04 横須賀美術館
05 走水神社
06 洋式灯台
【 観音崎灯台 】
▼第一砲台跡
・トンネル手前でタクシーを降り、急坂を登る。
・これが第一砲台。どこに据え付けたのか。
・観音崎の台地には砲台が9台ある。
・これは日本最古の砲台(跡)
▼細い道
・第一砲台から灯台へ向かう。
・わかりにくいが少し下っている。
・狭くかつ両側が石造の道が続く。
▼曲った坂を下る
・曲線状の坂を下り、灯台へ登り返す。
・しかしていねいな石畳の道。
・砲弾とかを運んだからだろうか。
▼浦賀水道
・途中から海が見えた。
・やはりうれしいものだ。
・対岸は房総半島。
▼地層が露出
・最後にここを通過する。
・断面がわかりやすい。
・この先に灯台がある。
▼観音崎灯台
・たどり着いた。
・3年前の記憶が蘇る。
・ただ天気が違う。あの時は晴天。
▼灯台に登る
・螺旋階段最上部の投光器。
・今は別の塔から発光するらしい。
▼観音埼灯台 2021年夏の訪問
・晴れているとこんな感じ。
・この日は7/31土。8/2月から、コロナで見学不可となった。
・燈光会HP:観音埼灯台
▼観音崎灯台からの景観
・房総半島館山方面。
・この日はペリー艦隊が見えない。
▼浦賀水道
・貨物船が行き交う海路。
・東京港や横浜港があるので大変だ。
▼富津岬と君津の製鉄所
・手前に薄く広がるのが富津岬。
・その奥に富津火力発電所。
・奥の右に日本製鉄君津製鉄所。
▼浦賀水道の地図
・理解を深めるために作図した。
・自分で配置するとよくわかる。
▼浦賀水道を行く貨物船
・iPhoneの望遠モードで撮影。
・背景の工場群とマッチする。
・SLNCとは何ぞ。
・A君によれば米ケミカルタンカー船。
▼浦賀水道
・強い風にススキがそよぐ。
・島みたいなのは砲台だ。
・右が第一砲台、左が第二砲台。
・荒涼とした感じがよい。
▼観音崎海岸
・灯台から海岸に降りる。
・小さな浜だ。
・写真の左端に白い標識が見える。
▼湾の標識
・「危険 立入禁止」とある。
・C君は、「ということは ・・・ 行く人がいるのだろう」と推測する。
・左の船はコンテナ船か。
▼LNG船
・LNG(液化天然ガス)船。
または
・LPG(液化石油ガス)船。
・とてもゆっくり進む。
・船に詳しいA君がいると助かる。
▼浦賀湾の湾の奥
・鎌倉に多い「やぐら」みたいだ。
・海難事故の慰霊なのか。
▼ツワブキ
・これは形のいい石蕗(ツワブキ)。
・雨に濡れて良い色が出ている。
01 マップ
02 浦賀
03 観音埼灯台
04 横須賀美術館
05 走水神社
06 洋式灯台
【 横須賀美術館:運慶展 】
▼横須賀美術館
・ここは入口。
・本来の目的は美術館の特別展。
▼運慶展
・B君のお勧めでここまで来た。
・運慶は鎌倉期の奈良仏師。
・慶派(運慶、快慶、康弁など)
・日本史上に残る彫刻家だ。
・東大寺南大門金剛力士像 東大寺
・興福寺北円堂無着像 興福寺
・ 同 世親像 興福寺
・円成寺大日如来坐像 円成寺
・などが代表作とされる。
・これらはみな国宝。
「運慶展:運慶と三浦一族の信仰」
・三浦半島の浄楽寺など運慶仏が中心。
・とても良い仏像たちだった。
▼横須賀美術館前から
・こんな近くに貨物船が見える。
・そんな美術館はないであろう。
▼ラビスタ観音崎テラス
・美術館から少し歩いたところ。
・ラビスタは「共立メンテナンス」が運営するホテルチェーン。
・ドーミーインがビジネスホテル。
・ラビスタはリゾートホテル。
・A君は昔来たことがあるようだ。
01 マップ
02 浦賀
03 観音埼灯台
04 横須賀美術館
05 走水神社
06 洋式灯台
【 走水神社 】
▼国道16号線
・ラビスタから少しで「走水」。
・ここはかの「国道16号線」の起点。
・R16は東京外郭の重要道。
・まあこのあたりは一車線だが。
・16号の起点とすると趣き深い。
・国道の左側にめざす走水神社。
▼走水神社
・左にはこのような景観。
・神社の創建は不明だが、江戸中期(享保年間:18C前半)の火災で記録等が焼失したらしい。
・このように急な石段を高台に登る。
▼走水神社
・「走水(はしりみず)」はとても古い地名。
・ヤマトタケルの東征物語あり。(『古事記』倭健命。『日本書紀』日本武尊)
・焼津で火の中から脱出した倭健命が、相模国「走水の海を渡りたまひし時」(記)
・海が荒れた。そこで后のオトタチバナヒメが進み出て、海上に畳を敷いてその上に降りたら(入水したら)、海は静まり、一行は海を渡り」、上総国に至ることができた。
・弟橘媛の歌に
「さねさし相模の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて問ひし君はも」
・ヤマトタケルは東征の後、大和へ帰る際、坂を上るときに弟橘媛をしのんで、「吾妻はや」(記:紀では「吾嬬はや」)とのたもうた。それゆえこれら東国のことを「あづま」と呼ぶこととなった。
・東京の湯島に妻恋神社、妻恋坂あり。この物語に由来する。
▼走水の海
・急坂なのでけっこう高度感がある。
・遠くには上総国が見える。
・古代の道は相模から上総へ渡る。
・房総半島は先端から安房〜上総〜下総。
・海沿い(東京湾沿い)に行けば、下総〜上総は逆になるのだが、大河河口の低質地は通りにくく海を渡った方が近かったわけだ。
・旧国は都に近い方が「上」や「前」
・それは走水の海(浦賀水道)の重要性に由来する。
▼ヤマトタケルの東征と走水の海
・上記の文章よりも地図の方がわかりやすい。
・ヤマトタケルは東国を去るときに碓氷(現在の碓氷峠のあたり)で、オトタチバナヒメを思い、「吾妻はや」と嘆息した。我が妻よくらいの意味である。
・なお『古事記』には足柄、『日本書紀』には碓氷とある。
▼バス停
・国道16号に戻る。
・けっこう雨が強くなってきた。
・京急バスで馬越海岸駅に出て、横浜に向かう。
【 洋式灯台の歴史 】
▼洋式灯台の設置
・1853 ペリー来航(浦賀)
・1854 日米和親条約
・1855 ハリス来日
・1858 日米修好通商条約
・1859 貿易開始 → 輸出超過
・1866 改税約書 → 洋式灯台8カ所を約す
・1868 王政復古(明治新政府の成立)
・1869 観音埼灯台(三浦半島)最初の灯台
・1870 野島埼灯台(房総半島)2番目の灯台
01 マップ
02 浦賀
03 観音埼灯台
04 横須賀美術館
05 走水神社
06 洋式灯台
・燈光会HP :観音埼灯台
・横須賀市HP:観音埼灯台
・横須賀美術館HP
・走水神社HP