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2025.5.2
▼近江八幡を歩く
2025.3.12 walk
・近江行き第1日:計4名
・米原〜近江八幡〜安土城址
・八幡堀周辺(近江八幡市街)〜駅
▼近江八幡を歩く
2025.3.12 walk
・近江行き第1日:計4名
・米原〜近江八幡〜安土城址
・八幡堀周辺(近江八幡市街)〜駅
【 map 】
▼安土と近江八幡map
・東海道新幹線を米原で乗り換え、
・琵琶湖線(東海道本線)で近江八幡へ。
・タクシーで安土城址、さらに近江八幡市街。
・八幡堀から近江八幡駅まで歩く。
・原図は地理院地形図。点線は近江タクシー。
【 八幡堀 】
▼日牟禮八幡宮
・「ひむれ」と読む。
・正面は白雲館(旧八幡東学校)
・明治初期の西洋建築
▼八幡堀
・八幡堀は、豊臣秀次が八幡山城を築いた際、市街地と琵琶湖を連結するために造られた人工水路。
・軍事的な防御施設であり、商業的な運搬水路でもあるとのこと。
・その役割は戦国期の寺内町にも通じる。
▼八幡堀
・両側は民家であり、歩道もある。
・ちょっとした水郷ともいえる。
▼八幡堀
・ここは堀が直角に曲がるところ。
・幅も広く、かつては船が往来したろう。
▼八幡堀
・このあたりは蔵の壁面など風情がある。
・中世〜近世初頭、防衛に効果があった。
・運搬には近代まで役に立ったろう。
▼八幡堀
・日牟禮八幡宮の橋に戻ってきた。
・行きに渡った橋だ。
▼八幡堀
・ここで堀から上がることにした。
・残念ながら舟運をみることはなかった。
【 旧市街 】
▼メンターム資料館
・子どものころ目にしたのはメンソレータム。
・近江兄弟社の名前は記憶にある。
・ある時期からはメンターム。
・一方でメンソレータムも残る。
▼新町通り
・旧市街地の中心が新町通り。
・今でも古い家並みが残る。
▼近江八幡郷土資料館
・場所は西村太郎衛門邸跡に開設。
・建物は明治期の八幡警察署をベースに
ヴォリーズ建築事務所が設計した。
・豊臣秀次と近江八幡の関わりの展示。
・この時はひな人形などの特別展示あり。
▼朝鮮人街道
・江戸時代の朝鮮通信使が歩いた街道。
・なぜ東海道ではなかったのだろうか。
▼朝鮮人街道
・京街道でもあるようだ。
・当時の朝鮮は「朝鮮国」。王朝は李朝。
・秀吉の出兵の後、徳川家康は関係改善に尽力。
・1609年の己酉約定により、対等の関係となった。
・朝鮮国と江戸幕府の間で使節が往来し。
・日本側は対馬藩宗氏を窓口とする。
宗氏は朝鮮貿易の利益を独占した。
・釜山などには倭館が置かれた。
・江戸時代を通して、江戸に12回派遣され、
4回目以降を通信使(朝鮮通信使)という。
・名目は新将軍就任の慶賀である。
・通信使の道を近江では朝鮮人街道という。
▼駅前の通り
・正面がJR近江八幡駅。
・近江鉄道八日市線の駅でもある。
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