7 こあらHP:J905 三井三池炭鉱   
J905 三井三池炭鉱

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 2024.4.2

▼福岡:三井三池炭鉱
 2024.3.20 walk
・最初のアップ 24.3.27

福岡旅行中、ひょんなことから三井三池炭鉱を訪問することになった。半日だったので、三池港と三川坑だけだったが、とても感銘を受けた。
官有物払下、団琢磨と三井鉱山、三池港開港、炭鉱の一端などに触れることができ、短いコメントも書いた。戦後復興への貢献、エネルギー革命による石炭産業の衰退、三井三池争議、炭鉱事故、閉山について、もう少し理解を深めたいと思う。
団琢磨の技術革新と経営、三井合名での働き、昭和恐慌についても同様です。
これらの舞台となった三井三池炭鉱の推移は、日本近代史の縮図であるかのように思います

contents

【 大牟田まで 】

▼01 筑後川
・筑紫平野を流れる大河。
・日本有数の暴れ川だそうだ。
・筑紫次郎とも称され、有明海に注ぐ。
・板東太郎:利根川、四国三郎:吉野川

・写真はJR鹿児島本線鉄橋
 西鉄線から撮影。

国土交通省筑後川河川事務所HP
同「筑後川の歴史散歩」

 

▼02 筑紫平野
・広大な麦畑。西鉄線から撮影。
・筑後川流域、中心は久留米市。

 

▼03 おおむた観光案内所
・意図せずに大牟田に来ました。
・駅東口のインフォメーション。
・なかなか楽しい観光案内所。
・大牟田市は福岡県の最南部。

 

▼04 明治日本の産業革命遺産
・三井三池炭鉱と三池港。
・産業遺産の景観を見たいと思います。
・これは観光案内所内のポスター。

 

▼05 三池港の航空写真
・三池港は有明海に面しています。
・ハミングバードは港の形。
・海に飛び出した設計になる故。

 

 

▼06 ジャー坊
・大牟田市の公式キャラクター。
ジャー坊のページ大牟田市HP
・ツルハシとヘルメットですね。

・なお、かような協会があるようです。
日本ご当地キャラクター協会HP

 

 

▼07 大牟田市役所
・タクシー車内から撮影。
・とても古風なたたずまい。
・大牟田市のランドマーク。

 

01 大牟田まで  02 三池港
03 三井三池炭鉱 04 三川坑
05 三井港倶楽部 06 駅西口

 

 

 

【 三池港 】

▼08 三池港展望所
・展望所といってもわずかの丘。
・はたして見えるのだろうか。

 

 

▼09 三池港
・手前は船の停泊する船渠地区。
・その先に閘門。
・さらに内港地区が見える。

・閘門により、干潮時に船舶は船渠地区に待避することが可能になった。

 

 

▼10 三池港の理解
・なるほど一目瞭然だ。
・ここまで手がこんでいる理由、
・干満の差が大きい有明海だから。
・説明板では潮位差は5.5mもある。

 

 

▼11 団琢磨
・留学帰りの工部省技師、団琢磨。
・三池炭鉱は三井に払下げ。
・団は三井に入り、炭鉱と港に尽力する。
・血盟団事件の被暗殺者で知られるが。

・益田孝に続く戦前の三井財閥リーダー。
 三井合名理事長(三井財閥の持株会社)

・福岡藩士の家に生まれ
・岩倉使節団に随行してアメリカへ。
・ボストンのMITで鉱山学を学ぶ。
・帰国後、しばらくして官営三池炭鉱へ。
・1889年、官営三池炭鉱は三井へ払下げ。
・このとき団琢磨も三井へ入る。
・三井のリーダー益田孝は次のように語る。
 三池炭鉱の払下価格は団琢磨込みだ。
 産業と人材を得たということか。

・団は三池炭鉱の近代化を進めるとともに、
 石炭積み出しに三池港の拡張を図った。
・有明海は干満の差が大きく、遠浅のため、
 三池港には大型船は入港できず、従来は
 小型船で口之津港〜三角西港へと運搬。
・海外の先進港を視察した団の主導により、
 近代工法で閘門を設け、新港を建設した。

 

▼団琢磨の文:三井港倶楽部の石碑
 

 石炭山の永久などということはありはせぬ
 無くなると今この人たちが街となっている
 のが、また野になってしまう築港をやれば、
 そこにまた産業を興すことができる。築港
 をしておけば、いくらか百年の基礎になる

 

 

▼12 雲仙岳遠望
・工場の向こうに高い山。
・これは驚いた。まさか雲仙。
・有明海の向こうは島原半島。
・海から立ち上がる雲仙岳。
・右の突起は雲仙・普賢岳。
・1991年火砕流は大被害を。
・海面からだから標高差がある。

 

▼13 三池港
・これは別の掲示板。
・船渠と閘門の関係がわかる。

 

 

▼14 多良岳
・長崎佐賀県境の多良岳。
・標高は996mだが存在感がある。
・雲仙よりも右側に見える。

01 大牟田まで  02 三池港
03 三井三池炭鉱 04 三川坑
05 三井港倶楽部 06 駅西口

 

 

 

 

【 三井三池炭鉱 】

三井三池炭鉱の歴史

江戸中期 柳川藩が開坑
幕末に  三池藩が開坑
明治初期 官営三池炭鉱(工部省) 

1889 官営三池炭鉱払下(三井)
1892 三井鉱山の設立
1898 宮原坑が開坑
1908 三池港が開港
1940 三川坑が開坑

1945 敗戦
1947 傾斜生産方式(石炭など)
1960 三井三池争議
1963 三川坑炭塵爆発事故
1984 有明坑火災
1997 閉山

 

 

▼15 三井三池炭鉱
・日本最大の出炭量を誇る炭鉱。
・歴史的意義のある三井の鉱山。
・専用鉄道図で、各坑の位置がわかる。

★各時期の主力坑
・初期:宮浦坑、大浦坑
・戦前:宮原坑、万田坑、四山坑
・戦後:三川坑
・最終:有明坑

 

 

 

▼16 炭鉱の機関車
・炭鉱専用鉄道の電気機関車。
・小型でとても形がいい。
・三川坑跡に展示。

 


▼17 炭鉱の機関車
・炭鉱専用鉄道の電気機関車。
・これは大きめ。塗装もきれい。
・三川坑跡に展示。

01 大牟田まで  02 三池港
03 三井三池炭鉱 04 三川坑
05 三井港倶楽部 06 駅西口

 

 

 

 

 

【 三井三池炭鉱:三川坑 】

▼18 三川坑の跡地
・世界遺産としての産業遺産は宮原坑。
・今回は三池港近くの三川坑跡を見学。
・かなり自由に見学できた。

 


▼19 三井石炭鉱業
・会社のプレート。
・三井石炭鉱業株式会社。
・三池鉱業所となっている。

 

 

 

 

 

▼20 三川坑
・三川坑の繁栄と衰退は、石炭産業の動向と軌を一にしている。
・1940年に最新鋭の坑として開かれ、戦後復興期には、三池の主力坑として復興を担った。
・1960年の三井三池争議(戦後最大の争議)の舞台でもある。
・1963年の三川坑炭塵爆発事故は(戦後最大の炭鉱事故)多くの犠牲者を出した。死者458名、負傷者839名とされる。

 

▼21 三川坑の入坑口
・ここから入る。
・掲示の新しさに違和感がある。
・文言は同一であろう。

 

▼22 斜坑へ
・階段を降りる。左に人形。
・その先、左に狭いトンネルあり。

 

▼23 斜坑
・トンネルを抜けるとここへ。
・車輌(人車)に乗って入坑。
・錆びついた車輌を残す。

 

▼24 斜坑
・現在はコンクリートで閉鎖。
・線路も撤去されている。
・ここは戦後復興期の入口だ。

 

 

▼25 第二斜坑
・第一斜坑は揚炭。
・第二斜坑は人員の入昇坑、排水など。
・海面下約350mに降り、採炭場に向かう

 

 

▼26 人車
・線路と車輪は撤去してある。
・3名がけで5列だと15名(1両)か。

 

 

▼27 人車搭乗者注意事項
・人車の危険度が高いことがわかる。
・絶対に守らねばならない規則だ。

 

 

▼28 斜坑への入口
・斜坑へ続く線路跡。
・多くの石炭が運ばれたのだろう。
・つわものどもが夢のあとか。

 

 

▼29 線路
・石炭を運んだ鉄道線路跡。
・広々としている。
・右の建物は繰込場。
 (今回は立ち寄れなかった)
・巻揚機が斜坑から人車を引く。

 

01 大牟田まで  02 三池港
03 三井三池炭鉱 04 三川坑
05 三井港倶楽部 06 駅西口

 

 

 

▼30 線路の終わり
・終端部の景観。

 

 

▼31 人車点検場
・朽ちた貨車が残っていた。
・「人車点検場」とある。

 

 

▼32 繰込場
・入坑前の作業確認場。
・ネットをかけているが大丈夫か。
・ありし日を活況を思う。

 

 

▼33 繰込場
・その説明板。
・2階は講堂だったんだ。

 

▼各坑の位置(再掲)
・専用鉄道図で、各坑の位置がわかる。

★各時期の主力坑
・初期:宮浦坑、大浦坑
・戦前:宮原坑
・戦後:三川坑

 

 

 

▼34 山の神神社
・三川坑敷地内の神社。
・大山祇神社。
・炭坑にもあったのか

 

 

▼35 炭塵爆発事故慰霊碑
・1963年11月の事故の慰霊碑。
・第一斜坑における炭塵爆発。
・死者458名、負傷者800人超。
・戦後最悪の炭鉱事故。

・三池争議の終結から3年後。
・ニュース映画で何度も見た。
・とても悲しいシーンでした。

 

▼36 屋外にあった人車
・坑内の車と異なり線路が残る。
・台車には車輪も残っている。
・寂寥というべきか。

 

 

▼37 昭和天皇
・1949年の巡幸。
・時代を感じさせる。

・戦後すぐの復興期。
・天皇は重点産業の炭坑を訪れる。
・これもまた占領期の光景か。

 

01 大牟田まで  02 三池港
03 三井三池炭鉱 04 三川坑
05 三井港倶楽部 06 駅西口


 

【 三井港倶楽部 】

▼38 三井港倶楽部
・三池港と三井三池炭鉱の迎賓館。
・1908開業 三池港開港の年。
・現在はウェディングとレストラン。

三井港倶楽部HP 施設について

 

▼39 ピラカンサス
・はたして当たっているか。
・かなり目立つ赤だった。

 

 

▼40 洋館の側面
・洋館に入る前に周囲を歩く。
・すっきりした側壁。

 

 

 

▼41 大浦坑の記念碑
大浦坑遺址
 大正十五年二月 団琢磨題

・大浦坑は初期の主力坑。
・場所は宮原坑の東にある。
・そこの倉庫の煉瓦で記念碑建立。
・手前に団琢磨の像があった。

 

 

▼42 大浦坑碑文
・団琢磨の文になる。
・読みやすく転記する。
・数字は横書きに直す。

・此坑明治6年三池炭山
 官営当初開坑に係り
 22年三井家これを継承

 始め専ら人力に依りしが
 9年坑底に炉を設けて通風を行う
 11年汽力曳揚機を備へ
 20年蒸汽喞筒を以て人力水車馬力喞筒に代へ
 33年七浦に通ずる疏水道を開き
 34年電力の応用に進み
 35年盤下炭の採掘を始め
 39年別に第二坑を開きて
 旧坑の残址を採掘し、出炭総計七百余万トン
 大正15年2月廃坑す

 汽力曳揚機の礎石
 及明治14年煉瓦を以て築造せし油小屋等尚存す
 用ゐて此碑を造り記念と為す

   喞筒 ・・・ ポンプ

・概略を示せば
・江戸時代からあった大浦坑は、
・明治期に官営から三井の炭鉱となり、
・上記のような技術革新で発展し、
・大正末年に使命を終えた。
・このことを記念して碑を造った。

 

 


▼42 団琢磨の文:三池港築港について
 石炭山の永久などということはありはせぬ
 無くなると今この人たちが街となっている
 のが、また野になってしまう築港をやれば、
 そこにまた産業を興すことができる。築港
 をしておけば、いくらか百年の基礎になる

 

 

 

▼43 中庭の樹木
・これはクスだろうか。
・かなり高い。

 

▼44 洋館の内部
・1階の洋室。
・和漢と洋館があったそうだ。
・炭鉱や港の来訪者向けか。

 

 

 

▼45 昭和天皇
・2階洋室の展示。

 

▼46 階段の吹き抜け
・変わった電灯だ。
・好みです。

 

 

▼47 ステンドグラス
・前述の洋館側壁の写真参照。
・シンプルな装飾。

 

 

▼48 洋室
・1階の洋室。
・ここでコーヒーをいただいた。
・結婚式も行われるようだ。

 

01 大牟田まで  02 三池港
03 三井三池炭鉱 04 三川坑
05 三井港倶楽部 06 駅西口

 

 

 

【 大牟田駅西口 】

▼49 大牟田駅西口
・西鉄大牟田線で大宰府へ。
・JR鹿児島本線の駅でもある。
・福岡で天神に着くのが西鉄線。
・博多に着くのがJR線。

 

 

▼50 大牟田市の地図
・大牟田市の概略がわかります。
・九州新幹線は新大牟田駅。
・大牟田の南は熊本県荒尾市。

 

 

▼51 大牟田市の近代化遺産
・世界遺産としては宮原坑。
・ぜひ訪れてみたいものです。
・半日の滞在でした。
・とても印象に残りました。

 

▼52 大牟田の市電
・大牟田駅西口に展示してある。
・1924年、大牟田電気軌道。
・のち西鉄の大牟田市内線。
・1954年廃線。

 

 

▼53 三池島原ライン
・この航路は興味深い。
・官営三池炭鉱の積み出し航路か。

 

 

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