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2023.1.27
▼奈良:新薬師寺
・平城京の東(東大寺の南)
・光明皇后の発願
・8C 天平文化
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▼奈良:新薬師寺
・平城京の東(東大寺の南)
・光明皇后の発願
・8C 天平文化
【 map 】
・平城京の東(東大寺の南)
・光明皇后の発願
・8C 天平文化
【 新薬師寺 】
▼高畑
・春日大社の森を抜けると広い道路。
・道路を渡ったら高畑のエリアです。
▼ろくさろん
・A君の案内ですてきなお店へ。
・以前に写真を送ってくれた喫茶店。
▼ろくさろん
・このつたの色は初めて見ました。
・驚くべき色合いです。
・うれしくなりました。
▼ろくさろん
・建物は蔵でしょうか。
・建物と植物と掲示が調和しています。
▼ろくさろん
・店を出て、新薬師寺に向かう。
・やっぱり蔵でしょうか。
・黄色い壁につたが映える。
▼高畑の道
・ろくさろんを南側から見る。
・右側はお寺。
・正面に想定される緑は春日大社の森。
▼高畑の道
・新薬師寺の道に出ました。
・遠くの山は高円山だろうか。
・その途中に白毫寺があるようです。
・白毫寺(A君の写真)
《新薬師寺》
・春日大社の南、高畑のエリアに所在。
・光明皇后が、聖武天皇の病気平癒を祈願。
・新とはつくが、8C天平期の本堂を残す。
・ちなみに
・本薬師寺跡 藤原京 天武 ウノ皇后平癒
・薬師寺 平城京 元明(移転)
・新薬師寺 平城京 光明皇后 聖武平癒
・十二神将像はこちらでご覧ください。
→ 新薬師寺HP
・とりわけ「伐折羅大将像」がすばらしい。
・バザラ大将と読みます。
・いちばんよく知られている塑像です。
→ 新薬師寺HP十二神将像
▼新薬師寺
・初めての訪問です。
・目的は国宝の十二神将像。
・入口では工事が行われていました。
▼新薬師寺
・入ってすぐのところからの本堂。
・整った空間、すてきな屋根。
・いっぺんに惚れてしまいました。
▼新薬師寺
・左側から本堂を見る。
・ここから中に入ります。
▼新薬師寺
・これは正面から。
・板の木目が印象的です。
・板の向こうに十二神将像が居ります。
▼新薬師寺
・あらためて本堂の全景。
・少し下がってみました。
▼鏡神社
・新薬師寺のすぐ隣の鏡神社。
・驚きました。
・藤原広嗣を祭るとあります。
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・広嗣の乱こそが大仏造立に至る起点。
・少し整理しましょう。
★奈良時代中期のポイント
《長屋王の時代》
・元正譲位、聖武即位
・光明子の立后をめぐる対立
・729 長屋王の変
《藤原四子の時代》
・光明立后(光明子を皇后)
・疫病の流行 → 藤原四子の病死
《橘諸兄の政権》
・玄昉、吉備真備の重用
・740 広嗣の乱
・式家の藤原広嗣、大宰府で叛す
・反乱は鎮圧される
・聖武天皇は動揺(聖武彷徨)
・恭仁京に移る
・難波宮に移る
・紫香楽宮に移る
743 大仏造立之詔
743 墾田永年私財法
・平城京に戻る
・749 聖武退位、孝謙即位
・聖武太上天皇、光明皇太后
・752 大仏開眼供養
・756 聖武没
★要は、混乱のきっかけは広嗣の乱
・しかし鏡神社は広嗣を祭る?
・藤原広嗣の霊を鎮めるということか
・昔は、かようなことを大事にしたようだ。
▼鏡神社本殿
・鏡神社は新薬師寺の鎮守として勧請された。
・本殿は春日大社本殿を移築とある。
・これも神仏習合。
・春日大社の造替(式年ごとの作り替え)の活用
▼鏡神社本殿の説明
・延享3年は1746年 江戸中期。
・将軍で言えば吉宗の時代。
・享保の改革の末期にあたる。
・春日大社造替に伴い、第三殿を鏡神社に移築。
▼鏡神社
・同じことの別の掲示。
・第46次か第47次か矛盾している。
▼入江泰吉記念奈良市写真美術館
・新薬師寺から少し南にあります。
・今回は休館日でした(かつて訪問)。
・奈良の景観や仏像を撮り続けた写真家。
・生まれも奈良です。
・情感のある写真には心惹かれます。
・外観も内部もモダンですてきです。
▼新薬師寺旧境内
・近くに奈良教育大学あり。
・元の新薬師寺境内はずいぶん広かったよう。
・新薬師寺は小さな寺ではなかった。
・大規模な七堂伽藍が並んでいたらしい。
・ここまでくると、さすがに考えてします。
・東大寺大仏の建築中でもあるし。
・鎮護国家とはいえ、大変な負担であったろう。
▼ナツメ
・高畑のナツメの実。
・あれ、ナツメかどうか自信なくなってきたぞ。
▼頭塔
・「ずとう」と読む。
・かようなものは初めて見た。
・そもそもこれは何ぞや?
・説明不可能なので下記HP参照
・奈良時代の塔
・行基の頭を埋めたとの伝承
・見学も可能らしい。
・奈良市HP 史跡頭塔
・ 新薬師寺HP