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2025.1.17
▼肥前鷹島(佐賀県)の景観
・2015.4.8 walk
レンタカー(佐賀空港〜北九州空港)
・2023.12.12 walk
三の丸尚蔵館の「蒙古襲来絵詞」展示
・後日、蒙古襲来のページを制作予定
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▼肥前鷹島(佐賀県)の景観
・2015.4.8 walk
レンタカー(佐賀空港〜北九州空港)
・2023.12.12 walk
三の丸尚蔵館の「蒙古襲来絵詞」展示
・後日、蒙古襲来のページを制作予定
【 01 map 】
▼鷹島のおおよその位置
このエリアが、外洋から区切られ、海流の影響も少なく、拠点としやすい場所であることもわかる。)
▼弘安の役の元軍 1281
1 東路軍(モンゴル、高麗)が博多湾に来襲
2 肥前の鷹島に移動
3 旧南宋の兵力を主とする江南軍と合流
4 鷹島に集結した際に、暴風雨(台風)到来
5 元軍は壊滅状態になる
さらに拡大してみよう
・肥前唐津大橋を渡り、鷹島に入る。
・橋が、高い地点を結んでいることがわかる。
・道路は半島の尾根の部分を通っている。
・撮影地は、埋蔵文化財センター(緑色)
・標高は 104m である。
・入江には「たい養殖場」写真でも確認できる。
jump 肥前鷹島地図 鷹島の海中遺跡
蒙古襲来絵詞 博多湾の防塁
【 02 鷹島の海中遺跡 】
▼肥前鷹島大橋 2018
・鷹島は、長崎県松浦市。
・対岸は、佐賀県唐津市。
・東松浦半島沿いに伊万里と唐津を結ぶ国道がある。
・鷹島が見えるところで分岐し、この橋で鷹島に渡る。
・完成は2009年、近年まで船で渡っていたようだ。
・この橋は、斜張橋。横浜ベイブリッジと同じ構造。
・「斜張橋」は、主柱を橋桁と連結する構造である。
・主柱をワイヤーで結ぶ「吊り橋」とは異なる。
▼鷹島神崎遺跡
・平成23年10月にモンゴル軍船の遺物を見つけたことにより、文献資料から比定されている鷹島周辺における元軍の集結が確定的になったのだとしたら、この発見は画期的なことだ。
・それにしても、なぜ元軍はここから上陸しなかったのだろうか。一般的に上陸作戦は砂浜で敢行するが、それは近代の話? 日本側が待ち構える博多湾にこだわるのは、当時としてはよほどの物量を用意していたからであろうか。山を越えて運ぶことはできぬ。
・このおだやかな湾を埋め尽くしたであろうモンゴル軍船、そして暴風雨の到来、前近代の日本におこった不可解きわまりない話である。たしかに「国難」ではある。
▼海中から発見された陶器
・水や酒、食料などを入れていたのだろう。
▼蒙古襲来:元船の錨
・九州国立博物館の常設展。
・九州:903 太宰府天満宮と九博2024
▼蒙古襲来:てつはう
・九州国立博物館の常設展。
・九州:917 太宰府と九博
▼元軍の石弾
・大陸では、このような武器を使っていた。
・九州:903 太宰府天満宮と九博2024
▼肥前鷹島大橋 2018
・肥前鷹島大橋を渡り、佐賀県に戻る。
・写真から、斜張橋であることがわかる。
jump 肥前鷹島地図 鷹島の海中遺跡
蒙古襲来絵詞 博多湾の防塁
【 03 蒙古襲来絵詞 】
・2023.12.12 walk
・三の丸尚蔵館(特別展)
・「蒙古襲来絵詞」の展示から
・東京:江戸城(三の丸尚蔵館)

▼「蒙古襲来絵詞」後巻
・元軍を迎撃する九州の武士。
・後巻は弘安の役1284。
・上は少弐、下は島津の軍船。
・「こころ筑紫の海に波押し分けていく」
・というイメージに重なる。
・蒙古襲来絵詞は文永の役に従軍した
肥後国の御家人竹崎季長が、
己の奮戦の説明用に書かせた絵巻物。
・前巻は文永の役、後巻は弘安の役。

▼「蒙古襲来絵詞」後巻
・敵船に乗り込む武士たち。
・左は奮戦する竹崎季長。
・矢を射られ、海に落ちる蒙古兵。
・絵詞のこの場面は初めて見た。
jump 肥前鷹島地図 鷹島の海中遺跡
蒙古襲来絵詞 博多湾の防塁
【 04 博多湾の防塁 】
▼元寇防塁:石築地 2021.5
・おからさん(福岡市:学生)の写真
・博多湾に位置した浜に築かれた。
・みごとに積まれたものだ。
・「石築地」(いしついじ)という。
・鎌倉時代の御家人が負担した「異国警固番役」によるもの。御家人とは、将軍と主従関係を結んだ武士のこと。

▼元寇防塁:石碑
・福岡市西区の「生の松原」
・「いきのまつばら」と読む。砂浜。

▼元寇防塁:福岡市教委の説明
コントラストを強めてあります。
・元寇防塁:福岡市HP
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蒙古襲来絵詞 博多湾の防塁